NLDが議席の過半数を占めNLD主導内閣を組んでからも、ミャンマー軍は一定の存在感を維持します。NLDは日本のどこかの政党みたく自衛隊不要論を唱えてもいないし、話しあいをすれば中国は怖くないなんてことも言っていません(少なくとも私の知る限り、どんなに赤組寄り新聞にもそんな記事見たことがない)。
アウンサンスーチー氏は、国軍と対話をしたいとラブレター(書簡)を送り、ミンアウンフライン将軍は「よっしゃ!」と言い、イラワジ紙はこんな写真をアップしています。
このショットは、各政党幹部が集まったときのものです。他紙の写真から、この右側にはUSDPのティンウー氏がいるはずだけど、トリミングしてカット、2人の顔が仲睦まじく向いている写真を選んでいる。
私は教育テクのひとつにNIE(新聞を使った授業 NIE 教育に新聞を )をたまに使い、その講習に行った際に新聞社カメラマンが印象操作のテクをちょっとだけ披露してくれたことがあります。2人の被写体がいたとして、反対側向いてる写真、顔あわせてる写真、下から撮った写真、正面から、表情・・・撮り方で仲良しの演出、喧嘩ないしスキマ風の演出、尊大に見える演出等々。
さてこの写真。この場にカメラマンがいれば、ましてやイラワジ紙のすごウデカメラマンなら、さまざまなパターンを撮ってるはず。将軍がアウンサンスーチー氏が、あっち向いてる瞬間、こっち向いてる瞬間、さまざまな画像データが手元にあるはず。その中からこのショットを選んで載せてる意味。
つまり、NLD寄りメディアのイラワジ紙(=NLDの大部分の意向)は、この2人に仲良くやっていって欲しいと思っているわけです。某党が自衛隊不要論みたいな事言うみたいにミャンマー軍不要論を唱えてはいません。
では、今後も引き続きミャンマー軍が存在する意義は・・・
1.軍医医大の人材(DSMA)
これは私がかの国に行くたび肌で感じてること。本当にマジメで勉強熱心なんです軍医の人材。そしてアルバイトで出かける富裕層向け医療機関で我々外国人の診療にも多いに関与。軍医学会で名刺交換していたら、上級医の何名かは”2枚目の名刺”を出してきて、そこには在留邦人もお世話になるパンライン病院にもビクトリア病院の名前が記されたりします。もちろん、軍服姿でそんな処に現れたりはしませんから表向きわかりませんが。
洪水災害支援でも大活躍
軍医大学(DSMA)にて
2.少数民族対策
今回の選挙でも、少数民族との和解にいたらず、選挙も実施できずというのが7選挙区あるというのは日本の報道でもはっきり記されていたところです。これの安定化にはやはりアウンサンスーチーさんの隣から軍のにらみが必要でしょう。
3.麻薬対策
麻薬栽培地帯の一斉手入れ、飛び道具をもった集団相手ではやはり武器が必要。しかし軍の力は借りるとして、主体としてNLDの麻薬対策でどう渡り合ってゆくのかなあ。
4.イスラムがらみの治安対策
ロヒンギャに限らずイスラム教徒の人権問題に(それ自体は現実的対応としても)沈黙を保つアウンサンスーチー氏。イスラム教徒に冷たい国と、現状に加えて今後さらに見なされてゆく可能性も。パリ連続テロのごとくシリア仕込みの本家ISがわざわざやって来はしないまでも、ISは「シリアに来れない同調者は地元でテロをやれ。標的はたとえば・・」とジャカルタの日本大使館が含まれたりしていたのは日本でも報じられたところです。”本家じゃないアジア顔のお仲間たち”がちょっかい出しに来たら、やはり軍に働いていただかねばならない。
5.洪水の災害支援
毎年雨季にはどこかしらが水没するミャンマー。今年は例年上回る規模にてとりわけネットに登場しました。来年も再来年もその次も、雨季が来るたび軍に助けてもらわねばなりません。
なお、イラワジ紙英語版の鼎談では、
「軍のリーダーは(NLD勝利を無効化した)1990年のリーダーとは違う」「政府も軍も、NLD勝利を嫌がる風ではない」「軍とのあいだに摩擦はあるだろう。軍と市民との対話が重要だ」と、軍との現実的距離の取り方を模索する発言がでています。
Dateline Irrawaddy: ‘Current Military Leaders Are Different from Those in 1990’
当初はギクシャクもありましょうが、乗り越え新たな協働を築いてゆくことを願っています。
写真ソース
The Irrawaddy (Burmese Version)
自前の写真